10月20日午後2時過ぎ昼食を済ませて片づけをしている時に肩から首に掛けて物凄く大きな男に押さえつけられるような感覚がした。
あれれ??オカシイナこの感覚は今まで経験した事が無いぞ??
オカシイ少し横になって休んだ方が良いかも?とソファーに横になって暫く様子を見てみた。
様子を見てから片づけを続けようと思ったけど酷くなって行く。さらにオカシイナ?と言う気持ちが強くなった。
救急車を呼ぶべきなのかしら??としばし考えた。冷汗が出て来た。さらに容態は悪くなって行く気配を感じていた。
やっぱりオカシイ、これは異常な状態だと思い返して救急車を呼ぶ事に決めた!!
救急車を要請した後、救急隊から電話が掛かって来てさらに今の容態を聞かれた。
玄関のオートロックの解除をしなければならない、それまではしっかりと意識を保っていなければと考えていた。
救急車が到着してオートロックを解除したけど私の部屋まで来るには少しややっこしい説明をしなければならない時間が掛かってしまう。
私は自分で玄関まで歩いて行く事にした。
救急車に乗り込むと色々と聞かれる今の体の状態、連絡先、病歴、行きつけの病院、健康保険証の有無などなど・・
病院に到着して同じ事をまた聞かれる。病院ですぐにCT検査のためにCT検査機に横になろうとした病院到着1分後時に気分が凄く悪くなった
その時、金属の棒で喉を思い切りガ~~ンと叩き付けられたような感覚がしたと同時にクゥッと息が全く出来なくなった。
どんなに吸い込んでも吸えないどんなに息を吐いても履けない水の中で溺れているような感覚です。
後1分間救急車を呼ぶのが遅かったら私はもういなかったかも知れません。
その時に周りの先生や看護師さんが大変だ~やばいぞ!!身内に連絡!!と物凄く騒いでいるのが判りました。
全身の力が抜けてまるでタコになったようでした。でも意識だけはしっかりとしていました。
その時に私はこれで死ぬんだなと保険金が下りるから皆には迷惑は掛からないなと思ってこれでやっと楽になれるとホットしている自分がいたのです。
顰蹙ですよねぇ。私死が身近になった時に人間は死にたくないと思うと思っていたのですが全く違いました。
酸素マスクを顔全体がすっぽりと入るお弁当箱のように大きなマスクに替えられたのですが物凄く辛すぎて大きなマスクを外そうともがきました。
このマスクじゃないと駄目だからと無理やり装着されてしまいました。
マスクを装着しても息は全く出来ませんでした。その後カテーテルでステントを装着して生き返らせて頂きました。
生き返らせて頂いて私はまだ死んではいけない未だやり残した事が何かあるのかも知れないと思いました。
ICUの私の隣には92歳のご婦人が一般病棟の時にはペースメーカーの入れ替えのために92歳のご婦人が入院されていました。
今の医学の発展には本当に驚きました。90歳以上の方々物凄く多くいらっしゃるそれもお元気なのです。
入院をして本当に心から感謝したいのは毎日のように病院に来てくれて洗濯・下着やタオルや果物やスリッパなどなど細々とした事をしてくれた友人に感謝です。
どうやってこの恩返しをすれば良いのか判らないくらい心の底から感謝しています。
彼女がいなければ入院生活は成り立っていませんでした。
どうやって恩を返せば良いと聞いたら「私が化粧品を使わなくなるまできちんと販売していてね。だから死んじゃ駄目だよ」と言われました。
だから生きて居なければ約束が守れません。