父と母のお墓参りの後。
久々に45年来の友人と楽しいおしゃべりタイムを過ごした時の話です。
4人の内3人が還暦60歳となったババア達です。
取り留めの無い話をしている中で車の点検費の話になり「ディーラー見積もり20万以上だと言うので最低限必要な点検だけにしてと言ったら10万位になったのよ。やっぱりディーラは儲けたいから必要の無いものまで見積もりに加えて来るのよね~ずるいわよね。」と言う友人の話に点検で必要なのか必要では無いのかは自分で選ぶべきで「儲けたいから」と言う言葉に私は寂しさを感じてしましました。
私は車に決して詳しい訳では無いのでディーラーが必要だと思う工程はそのまま受け入れてやってもらうタイプなのです。無駄な工程は無いと勿論信頼の上で・・・
そんな「儲けたいから」などと言う捉え方をする物では無いと抗議しましたがもう一人の友人に「はい!第一ラウンド開始」とちゃかされてさらに悲しくなりました。
商売をしていればお客様から常に思われている事でしょうが上乗せ、上乗せで必要の無い物をお勧めしていたら商売など上手く行く訳がありません。
お客様の立場に立って必要な物をお勧めしている業者で無ければ長いお付き合い等はとても出来る訳ではありません。
しかしボランティアで商売をしている訳では無く税金を納める義務を施行するためには利益が無ければ成り立ちません。
見積もりが信頼出来ないディーラーならば他のディーラーへ替われば良い事です。
またもう60歳を超えた私たちですから社会貢献も生きてゆく中で必要ではと何処かへ寄付なりボランティなどしているのか?と聞いた所、即座に「そんなの経費で税金対策よ!」と一括否定されてしまいました。
さらに他の友人から「それでどうなの?経費扱いにしてあるの?」と聞いて来る始末。正直呆れて知らないと答えました。
彼女たちには無縁の話だったようです。自分の事が一番は当然ですが・・・・
誰が何処へ寄付をしても基本的には税金は免除されます。それを税金対策と切り捨てるのか~~
こんな友人たちってどうよ!!悲しいですよ。自分がしていない事をやっていると非難する何て最低ですよ。
自分が自分が一番何でも正しいと思う心があるのでしょうか?私には良く解りません。
本当に悲しい・空しい・どうしてそんな考えしか出来なくなってしまったのかしら??
ほんの少しだけの寄付しか出来ないけれど本当ならもっと貢献して行きたいけれどそれも辛い。
苦しい思いをしない程度の寄付なら行っても良いのではないかしら?
私たちは恵まれている現実に慣れすぎて弱者の立場に立つ事も出来なくなっているのですか?
決して役に立っている訳では無いけど少しだけでも社会貢献をしたいと思う気持ちを踏みにじられ、とても嫌な気持ちになりました。
きっと彼女たちから見れば私は税金対策で寄付をする偽善者なのでしょう。そのつもりが無くてもそう捉えられる話です。
いい年した大人がこんな事で良いのかな~~~??自己中心は若い人の特権でも無いよう??????
こんな事で日本は大丈夫なのか???