ゆみこの美肌奮戦日記(4)

★重度アトピーに苦しんだ27年間★
 重度のアトピー性皮膚炎改善ライブ日記
 この日記は今現実に起きている事実です。

[05/8月26日]

腫れていた指の太さが戻って来た気がする。
見た目では分からない程度だけど、これに気付いたのはお手入れしていて、シートの上にコットン(1枚を半分の薄さに分けたもの)を指一本一本に巻いていた時のこと。

コットンの長い側面を縦にして巻くと丁度私の指の長さに沿うのだけど、くるっと一周巻いた時に今までは巻き始めと巻き終わりの端と端が合わなかった。それがきちんとピッタリ合うようになっている。
大げさだけど、入らなかったスカートがダイエットして入るようになった感動に似ているかも(笑

腫れがある時の手は、一番すごい時がグローブのように元の何倍にも膨れ上がっていて、治まって来る中でも、指を揃えてみても指先と指先が隣り合わせにピタっと合わず、どうしても隙間が開いてしまっていた。

指のラインにメリハリがなくて、関節部分が盛り上がりボコボコしていて、痛くて手を「パー」の状態にはとてもじゃないけど出来なかった。

今は腫れの時に感じる圧迫感や、広げることによって皮膚が切れるような心配がない状態。
指同士をくっつけて隙間が無くなるまであと一息。
赤みはまだまだあるけど、ひとつひとつ段階を経ている実感がある。

そうだ!感動といえばもうひとつ。食事の時にお箸が普通に持てるようになった。
食べているときに気付いたのだけど、何も思わずに使っている自分に「あれっ?」と思った。
プラスチックスプーンで食べていた頃から始まり、日々少しずつお箸を使う時間を増やして来てはいたんだけど、お箸を持つことで支点となる右手の親指と人差し指の間に力が入るのが痛くてなかなか物を掴めずにいたのが、気が付けば普通に力を入れられている。

以前どうしてお箸が使えなかったのかが不思議な気分さえしている。
ご飯を掴むのさえ、お豆腐を切り取るのさえ辛かったはずなのに・・・
そんな時の具体的な辛さや痛みを思い出そうと、お箸の持ち方や力の入れ方を手とにらめっこしながら変えてみたけど、どうやっても普通・・・。一瞬、「使えなかった頃ってどんなだったっけ?」と思ってしまった。

HPで「いつの間に?という感じでよくなります」と読んではいたけど、これもその内に入るかな?これからももっともっと「いつの間に?」を増やしたい。
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[滑川談]

その通りそれが何時の間にの感覚です。何時お箸が持てるようになったのか?を思い出そうとしても思い出せないでしょうね。
これから何度もあれ??何時の間にを経験出来るので次回は記憶に残っていると良いですね。

 

[05/8月28日]

「顔が腫れなくなったなぁ」と思ってから「でもまた腫れが来るかも」と身構えつつ2週間程経つのだけど、どうも腫れない様子。
口の周りからあごにかけてと、まぶたの辺りが多少かさかさはする。後は頬にうっすら赤みがあるのと、唇周辺にくすみがある。でももうリンパ液も出ないし、特に不快感がないし・・・。顔に関しては大体のステロイド離脱が出来たのかな??

3月からお手入れを始めて、パンパンに膨れ上がるという一番酷い反応が出たのが4ヵ月後の7月。
腫れる→引くを繰り返してつらい時期を過ごしたのが8月までの1ヶ月。
それからは「つらい」と思うような反応は起こっていない。
シートでお手入れした直後は、昔の私に比べてとても白くて健康的な肌色をしている。
しっとりとさわり心地がよくて気持ちいい。でもきっと、もっとよくなれると思う。
赤みもくすみも完全に無くなるまでもうちょっと頑張らなきゃ。

 

[05/8月29日]

顔の改善が進む中で、腕は本当にしつこい。
顔と腕は同じ時期にお手入れを始めて、むしろ時間数にすれば腕のほうがセラミックシートでのお手入れは長いはずなのに、まだ真っ赤で、量こそ減ったが周期的にリンパ液も出るし、たまに思い出したようにドロドロになってしまうこともある。
どれだけ大量にステロイドを塗りたくっていたかがわかる。

お手入れをして日々を過ごし前進しながらも、肌は時間をさかのぼって、層のように積み重なって隠されていた過去のステロイドの被害を見せてくる。
そうやって綺麗な肌が上がってくるまで発掘作業している感じ。「まだかなぁ、まだ良くならないのかなぁ」なんて思うこともあるんだけど、そう思うたびに私は過去の自分を思い出す。

それは、ちょっとした想い出話になるのだけど。。。

私は子供の頃におそらくすごい量のステロイドを親に塗られていたと思う。
中高生の頃から大学生になっても、乳液タイプのステロイドをお風呂上りにローションのように全身に塗っていた。特に腕は本当に頻繁だったはず
だ。
湿疹も出てなくて塗らなくてもいいような場所にも何も知らなかった私は保湿のつもりでそうしていたのだ。

そして23歳頃だっただろうか、薬の怖さを知ってパッタリと使用をやめて、初めてのリバウンドを体験した。
その頃会社に就職していた私はそれでも赤い顔のままで働いていた。
顔はもちろん、腕も足も首も痒くて痒くて、人前では掻けないのでトイレに駆け込んで掻いたり・・・。「落屑」だったかな?皮がフケ状にそこかしこに落ちていくのを見て、どうしてこんなめに会わなきゃいけないんだって涙ぐむ毎日だった。

鏡をみては「うわっ」と泣きわめいたり、親が薬を塗るよう勧めるたびに「誰のせいでこうなったと思ってるの!」と食って掛かったりで、ヒステリーばかり起こしていた。「死んだ方がどれだけマシか。
どんなに酷い体になっても死ねないなんて、生き地獄だ」とまで思っていた。
あの時ほど精神的に病んでいた時期はなかったと思う。

やがて会社も退職してしまい、しばらくは人目につかない生活をして、自分に合った保湿剤などを探してどうにかこうにか日々を上手く過ごせるように努力していた。
そして何とか心も安定してきた頃に、誰が見てもアトピーだと分かる肌ではあったけれど、知り合いの紹介で家庭教師などをしつつ、自分のペースで収入を得たりしていた。

20代前半という、人生で一番綺麗で楽しいはずの時期にあまりいい想い出はない。
けれど、当時辛かったけれど敢えて人と接したことが、今思えばとてもいい経験だった。
生徒や限られた友達など、ごく狭い範囲の人付き合いではあったが、自分が悲観的な気持ちで過ごしていると、
周囲もそれを感じ取るのか空気が暗くなってしまうが、自分から明るく振舞って、前向きな気持ちを持って接すれば周りも普通に接してくれることにだんだんと気付いてきた。

余談だが、当時中学生や高校生を教えていたのだけど、不思議なことに彼らの親よりも、そういった思春期の子供達の方が私を見ても大して何も気にしていなかったし、向こうもすごく素直に「痛い?」とか「つらい?」とか聞いてくる。
大人にはない純粋な気持ちが伝わって、「そだねーでも頑張ってるよ」なんて会話が自然に出来たのをよく覚えている。

この頃に自分の気持ちのコントロール一つで、周囲に与える印象が違ってくることを学んだ。
殻に閉じこもって悶々と悩んでいても仕方がないということや、自分の親を責めるのは間違っているということ。
人がどうこうしてくれるのではなく、自分から動かなければ何も変わらないこと。
「どうして私だけ?」なんて考えたところで、今が良くなるわけでもなく、むしろ私がアトピーであることは、色んな事を感じ、学ぶためには必要なことで、人間的に成長するチャンスなんだと考えればいいんじゃないか?
心までアトピーになってしまってはいけないと思った。
そして「いつかきっと良くなってやるぞ!」という強い意志を持ち始めたのもこの頃だった。

この精神は、今も自分が後ろ向きな考えをしてしまった時に思い出すようにしている。
もちろん全く知らない人やたまにしか会わない人の目はどうしても気になってしまうし、無駄に心配をかけたくないので出来るだけ隠してしまうけど、そういう人たちとも普通に会えるように、この気持ちを大切に頑張っている。